長い文章読むのきらいなひとは飛ばしてくださいな。
原稿用紙5枚分あるので。
「100万回生きた猫」 三年三組 深代 育美
あいするひとが死んだとき、あなたはどうしますか。
泣きますか、笑いますか、それとも欠落感に自らの死を願いますか?そのひとのいない孤独に、耐え難いさみしさに、たくさんの記憶に、死を悼んではかなしみ続けますか?
ある時、百万回生きた猫は死んだ。
百万回死んで百万回生き返り、その間誰かに変われ、或いは誰にも飼われず、誰かに大切にされ、愛され、けれど誰も好きにならずに百万回生きて、そうしてはじめてうつくしい白猫とその子供を自分より好きになり、はじめて好きになった白猫の死がかなしくて、三日三晩泣き続けた後に彼は死んだ。
永遠ともいえる彼の生を奪ったその死は、なにかの代償なのだろうか。
けれど私は彼の最後の死に、かなしみよりも救いを、単純な死の痛ましさよりも寧ろ終わることのできた彼への羨望を感じる。
自分の存在以上に誰かを好きになり、その好きになったひとが死んだ時、以前と変わらない日常を送る苦痛は果てしないだろう。
それまでの彼は言う。
子供も、海も、おばあさんも、王様も、泥棒も嫌いだ、大嫌いだ、と。
今迄そうやって誰も、なにも好きにならず生きてきた彼は、その喪失にともなう痛みも、苦しみも、そうして喪う恐怖も知り得なかった。
自身を至上のものと思うのならば、死はその痛みを半減させる。
自身の固執する日常やひとやものからの断絶こそ私達が死を畏れ、忌避しようとする最大の原因となるからだ。
だからきっと、白猫を愛した結果、その喪失の苦痛を知ることではじめて、百万回生きた猫はようやく死ぬことができた。
その幸福に私は嫉妬すら覚える。
今現実に生きている私には彼のように悲しみ故に死ねる確証がない。
幾ら嘆こうと、幾ら絶望しようと、私の本能は生き続けることを要求する。
どれほど精神的苦痛に晒されていても、私の肉体は空腹を感じ、睡眠を欲し、心臓は拍動を刻み続け、ヘモグロビンは当然のように酸素を運び続ける。
だからこそ、私は恐れる。
何かを手に入れることを、なにかを愛することを。
そうしてやがて、そのかけがえのないなにかを喪うことを。
それは、絶対的な苦痛の可能性を孕んでいる。
そうしてその恐怖は時に私の足を竦ませ、臆病にさせる。
見たくない、触れたくない、記憶など欲しくはない。
結局喪ってしまうならば最初から抱きたくなどない、と。
けれど、どれほど恐怖し、絶望し、果てしない孤独にひたすら戦慄しても尚、ひとはひとりでは生きてゆけない。
私達はなにかを愛しながら生きるしか術を持たない。
どれだけ恐怖しても、どんなに避けたいと願っても、絶対的な恐怖に打ち震え、怯えながら、錯乱しながら、私達は愚直に愛すべき対象を求めてしまう。
ならば、愛するなにかを見つけた時、その時の私にできる唯一のことは享受ではないだろうか。
なにかを愛してしまったのならば、それが与える果てのないかなしみも、苦しみも、悦びも、喪失の痛みすらも私は愛おしいものとして受け容れよう。
愛すべきなにかに出逢ってしまった時から、私は喪う未来に恐怖し続けるだろう。
そうしてそれを喪った時、痛みは私を完膚なきまでに打ちのめすだろう。
けれどそれでも、嗚咽をころし、その痛みを厭い嘆くことなく、しぶとくなにかを愛し続けよう。
孤独は私を容赦なく苛み、幾度となく涙を流させるだろう。
もしかしたら、涙すら流れず、圧倒的なまでの現実を前に呆然と立ちつくし、ただ緩慢に笑うことしかできないかも知れない。
だからこそ、私は思う。
なにかを愛しいと想う時、誰かに愛を告げる時、私達は自身の存在を賭して世界に対峙しているのではないだろうか。
なにかを愛し、それ故の痛みを受け容れる覚悟をすることではじめて私達は生きることを知るのではないだろうか。
ならば告げよう。
あいすることから目を逸らすことなく想おう。
私はあなたを愛してしまった。
もしかしたらあなたは私に苦痛をもたらすかも知れないが、それを受け容れる覚悟はできている、と。
百万回生きた猫が百万回死んだ、百万回生きた猫にただ一度だけ愛された白猫がただ一度だけ死んだ、百万回生きた猫がただの一度も愛さなかったたくさんのひとやものが存在した。
そうして一度だけしか生きられない私達は、限られた時間の中でなにかを、誰かを愛しながら死んでゆく。
そんな世界の片隅で、幸運にもあいするなにかに出逢えたのなら、私は愛を叫ぼう。
未だ恐れは消えず、声は震えているかも知れない。
けれどそれでもいい。
私は、私のあらん限りの力で、あいするもの、あいするひとすべてにこの言葉を届けたい。
「愛している」
はい。
読んでくれたひと、どうもありがとう。
飛ばしたひと、それはそれでありがとう。笑。
誰宛か、わかってるひとは笑ってやってください。
未だ愛してます。きっと一生。
さ、今夜も眠れない!
あ。べつにやらしいこと考えてるとか、欲求不満とかじゃないから!
やること多すぎるだけだから!
…凹。
原稿用紙5枚分あるので。
「100万回生きた猫」 三年三組 深代 育美
あいするひとが死んだとき、あなたはどうしますか。
泣きますか、笑いますか、それとも欠落感に自らの死を願いますか?そのひとのいない孤独に、耐え難いさみしさに、たくさんの記憶に、死を悼んではかなしみ続けますか?
ある時、百万回生きた猫は死んだ。
百万回死んで百万回生き返り、その間誰かに変われ、或いは誰にも飼われず、誰かに大切にされ、愛され、けれど誰も好きにならずに百万回生きて、そうしてはじめてうつくしい白猫とその子供を自分より好きになり、はじめて好きになった白猫の死がかなしくて、三日三晩泣き続けた後に彼は死んだ。
永遠ともいえる彼の生を奪ったその死は、なにかの代償なのだろうか。
けれど私は彼の最後の死に、かなしみよりも救いを、単純な死の痛ましさよりも寧ろ終わることのできた彼への羨望を感じる。
自分の存在以上に誰かを好きになり、その好きになったひとが死んだ時、以前と変わらない日常を送る苦痛は果てしないだろう。
それまでの彼は言う。
子供も、海も、おばあさんも、王様も、泥棒も嫌いだ、大嫌いだ、と。
今迄そうやって誰も、なにも好きにならず生きてきた彼は、その喪失にともなう痛みも、苦しみも、そうして喪う恐怖も知り得なかった。
自身を至上のものと思うのならば、死はその痛みを半減させる。
自身の固執する日常やひとやものからの断絶こそ私達が死を畏れ、忌避しようとする最大の原因となるからだ。
だからきっと、白猫を愛した結果、その喪失の苦痛を知ることではじめて、百万回生きた猫はようやく死ぬことができた。
その幸福に私は嫉妬すら覚える。
今現実に生きている私には彼のように悲しみ故に死ねる確証がない。
幾ら嘆こうと、幾ら絶望しようと、私の本能は生き続けることを要求する。
どれほど精神的苦痛に晒されていても、私の肉体は空腹を感じ、睡眠を欲し、心臓は拍動を刻み続け、ヘモグロビンは当然のように酸素を運び続ける。
だからこそ、私は恐れる。
何かを手に入れることを、なにかを愛することを。
そうしてやがて、そのかけがえのないなにかを喪うことを。
それは、絶対的な苦痛の可能性を孕んでいる。
そうしてその恐怖は時に私の足を竦ませ、臆病にさせる。
見たくない、触れたくない、記憶など欲しくはない。
結局喪ってしまうならば最初から抱きたくなどない、と。
けれど、どれほど恐怖し、絶望し、果てしない孤独にひたすら戦慄しても尚、ひとはひとりでは生きてゆけない。
私達はなにかを愛しながら生きるしか術を持たない。
どれだけ恐怖しても、どんなに避けたいと願っても、絶対的な恐怖に打ち震え、怯えながら、錯乱しながら、私達は愚直に愛すべき対象を求めてしまう。
ならば、愛するなにかを見つけた時、その時の私にできる唯一のことは享受ではないだろうか。
なにかを愛してしまったのならば、それが与える果てのないかなしみも、苦しみも、悦びも、喪失の痛みすらも私は愛おしいものとして受け容れよう。
愛すべきなにかに出逢ってしまった時から、私は喪う未来に恐怖し続けるだろう。
そうしてそれを喪った時、痛みは私を完膚なきまでに打ちのめすだろう。
けれどそれでも、嗚咽をころし、その痛みを厭い嘆くことなく、しぶとくなにかを愛し続けよう。
孤独は私を容赦なく苛み、幾度となく涙を流させるだろう。
もしかしたら、涙すら流れず、圧倒的なまでの現実を前に呆然と立ちつくし、ただ緩慢に笑うことしかできないかも知れない。
だからこそ、私は思う。
なにかを愛しいと想う時、誰かに愛を告げる時、私達は自身の存在を賭して世界に対峙しているのではないだろうか。
なにかを愛し、それ故の痛みを受け容れる覚悟をすることではじめて私達は生きることを知るのではないだろうか。
ならば告げよう。
あいすることから目を逸らすことなく想おう。
私はあなたを愛してしまった。
もしかしたらあなたは私に苦痛をもたらすかも知れないが、それを受け容れる覚悟はできている、と。
百万回生きた猫が百万回死んだ、百万回生きた猫にただ一度だけ愛された白猫がただ一度だけ死んだ、百万回生きた猫がただの一度も愛さなかったたくさんのひとやものが存在した。
そうして一度だけしか生きられない私達は、限られた時間の中でなにかを、誰かを愛しながら死んでゆく。
そんな世界の片隅で、幸運にもあいするなにかに出逢えたのなら、私は愛を叫ぼう。
未だ恐れは消えず、声は震えているかも知れない。
けれどそれでもいい。
私は、私のあらん限りの力で、あいするもの、あいするひとすべてにこの言葉を届けたい。
「愛している」
はい。
読んでくれたひと、どうもありがとう。
飛ばしたひと、それはそれでありがとう。笑。
誰宛か、わかってるひとは笑ってやってください。
未だ愛してます。きっと一生。
さ、今夜も眠れない!
あ。べつにやらしいこと考えてるとか、欲求不満とかじゃないから!
やること多すぎるだけだから!
…凹。
コメント
参考にと思って見ていたら
なんていうか、
本当にすごいです!
感動しました(/ _ ; )
ララバイオブユーと言う歌がありますがそのサビに
生きることは愛することと覚えていて欲しいのさ
と言うのがあります。猫が生き返らなかったのは本当の愛を思い出したからかな?
経験し終えたネコ。そんな風にも思えます。
素敵な感想文ありがとうございます。
少し参考にと思って見てみたんですけど
とてもすごいです!感動しました!
私はまだ中学3年生だから難しい言葉とか
詳しくは分からないんですけど文章全部
読んでみて深いなぁと思いました。
ぜひ参考にさせていただきます(*^^)v
日が昇り
日が暮れる
痛みは、生きている事を教えるためにある。
別れは、出逢った喜びをしるために。
死と言う未知の世界の入口には
知らない事から来る不安や恐怖感が常に存在する。
意外と、知っていたら
なんて事もない世界なのかも知れない。
何かを手にした時
失う覚悟が必要なんですね。
懐かしい。最後に顔合わせたのは何時だったか。
僕の知る当時の彼女の頭の中はこんなカンジだったのかな。
見た目に反して、でも何か納得してしまうような感想文御馳走様でした。