ゴウリー・デーヴィー
2006年10月16日 絵豊穣の女神。
今日、たまたま入った博物館(たばこと塩の博物館!)の特別展示。
『インドの民族アート』
まったく期待せず、むしろ煙草目当てでのみ入ったのだけれど。
侮っていました。ごめんなさい、インド。
ミティラー画、っていう三千年とかいうおそろしく遠い時間のなかで
お母さんから娘、その娘の娘、さらにその娘…果てしないくらい延々伝承されてきたおそろしく緻密な壁画を
その場で描いているひとがいるの。
筆なんか使わず、ひたすら細かく細かくほそい棒をで彩色していて
描いているものがなにを表しているのかなんてわからなかったのだけれど、
なんだか息がつまって20分くらい見入ってしまったよ。
そう。
そこで描いているのはしわしわのおばあちゃんなのだけれどさ、
呼吸するのと同じくらい多分自然に、当然のこととして描いていて
(そこには現代アートとしても成立するだのなんだのって注釈もついていたけれど)
このひとにはただ「描く」って行為があるだけなんだろうなって思ったら
なんとなく感慨深かったです。
同じく伝統画の一種で『ワルリー画』っていうのも飾ってあって
こっちは茶色の背景に白一色で描かれているの。
で。
その中のいちまい。
「ゴウリー・デーヴィー」
ひとつぶひとつぶ、気の遠くなるくらいたくさん描かれた穀物。
それが零れる瓶、神様。
言葉じゃあなくて、ほんとう切なくなるくらい敬虔で真摯な祈り。
なんだろうね、
僕は神様なんて所詮人間ありきの存在だと思っているのだけれど
神様なんかよりも、もっと絶対的な存在が僕のなかにはあるのだけれど
これを描いただれかにとっては確固とした信仰の対象で、
その祈り?願い?わからないけれど、そういうものがあまりにも真っ直ぐで迷いがないように見えました。
なんだか、泣きたくなる。
あー。
やっぱりなにか信じているひとって強いな。
負けちゃいそう。
またゆこう。
さて。
これからオールナイトでヤンシュバンクマイエル。
ひとりさみしく映画館です。
べつにさみしくないけどね。映画はひとり派。
朝までヤン漬け。
これはきっとテンションおかしくなるな。
今日、たまたま入った博物館(たばこと塩の博物館!)の特別展示。
『インドの民族アート』
まったく期待せず、むしろ煙草目当てでのみ入ったのだけれど。
侮っていました。ごめんなさい、インド。
ミティラー画、っていう三千年とかいうおそろしく遠い時間のなかで
お母さんから娘、その娘の娘、さらにその娘…果てしないくらい延々伝承されてきたおそろしく緻密な壁画を
その場で描いているひとがいるの。
筆なんか使わず、ひたすら細かく細かくほそい棒をで彩色していて
描いているものがなにを表しているのかなんてわからなかったのだけれど、
なんだか息がつまって20分くらい見入ってしまったよ。
そう。
そこで描いているのはしわしわのおばあちゃんなのだけれどさ、
呼吸するのと同じくらい多分自然に、当然のこととして描いていて
(そこには現代アートとしても成立するだのなんだのって注釈もついていたけれど)
このひとにはただ「描く」って行為があるだけなんだろうなって思ったら
なんとなく感慨深かったです。
同じく伝統画の一種で『ワルリー画』っていうのも飾ってあって
こっちは茶色の背景に白一色で描かれているの。
で。
その中のいちまい。
「ゴウリー・デーヴィー」
ひとつぶひとつぶ、気の遠くなるくらいたくさん描かれた穀物。
それが零れる瓶、神様。
言葉じゃあなくて、ほんとう切なくなるくらい敬虔で真摯な祈り。
なんだろうね、
僕は神様なんて所詮人間ありきの存在だと思っているのだけれど
神様なんかよりも、もっと絶対的な存在が僕のなかにはあるのだけれど
これを描いただれかにとっては確固とした信仰の対象で、
その祈り?願い?わからないけれど、そういうものがあまりにも真っ直ぐで迷いがないように見えました。
なんだか、泣きたくなる。
あー。
やっぱりなにか信じているひとって強いな。
負けちゃいそう。
またゆこう。
さて。
これからオールナイトでヤンシュバンクマイエル。
ひとりさみしく映画館です。
べつにさみしくないけどね。映画はひとり派。
朝までヤン漬け。
これはきっとテンションおかしくなるな。
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